ベルリン−モスクワ間って・・・・


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001 2011/05/15(日) 12:23:15 ID:yuYsYzXW9w
ベルリン−モスクワ間って
イメージではめちゃめちゃ遠そうだけど
日本に置き換えると
ベルリン−モスクワ 1,500km
鹿児島−函 館 
東 京−那 覇 くらいなのな。
この程度の距離を
何年も取り合ってたわけか・・・
大陸の陸上戦はどうもイメージしにくいけど
みなさん、しっくりくる?
  

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002 2011/05/15(日) 14:26:28 ID:/7diTiGH/g
鹿児島−函 館 
東 京−那 覇 ってめちゃめちゃ遠いじゃん


お隣の国なんてご近所の陣取り合戦みたいなもんだし

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003 2011/05/15(日) 17:11:37 ID:NnDMi1sE0s
北海道と比べると気が遠くなるほど広大だな

起伏もあるし

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004 2011/05/17(火) 18:14:47 ID:GC0T8nE1yk
行軍だけならともかく戦線維持に必要な物資も
運ぶことを考えれば100kmでもけっこうキツイと思う。
ドイツさんついて行きます、って日本が考えたのも無理ない。

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005 2011/05/18(水) 05:57:47 ID:nYRZEfusLM
道路が完全に整備された現在の日本と
当時の未舗装路を一緒にすんじゃねえw
ドイツの兵隊さんは、ドロドロの地面にタイヤとられながら頑張ったんだぞ!
それとな、通常時の1kmと戦闘時の1kmは、まったく違うんだぞ!
考えれば気が遠くなるだろ・・・orz

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006 2011/05/18(水) 13:02:32 ID:B0HuFtkAPI
まず>>1は映画「遠すぎた橋」を見ることだ。

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007 2011/05/18(水) 19:23:51 ID:gmPP/1icYo
WW2期なら
・言語体系、文字が異なる
・計量単位が異なる
・鉄道規格が異なる
・まともな地図や辞書が無い
・気候風土
あたりが軍事行動上のネックだな。現場レベルでは通訳・現地経験者とか皆無だし

中期的には社会文化や各種規格の違いが根本的な障害となるけど

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008 2011/06/08(水) 00:56:39 ID:pXKaT96RIg
中央軍集団は6月から12月までで
モスクワ付近までともかくも進撃できたんでせう?
一箇月当たり二五〇キロメートルですか

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009 2011/06/08(水) 21:25:29 ID:9jyXbMCGSc
海じゃなく陸地だから太平洋よりは楽なんじゃね?

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010 2011/06/08(水) 21:37:16 ID:/2C3xJCT2E
1日あたり8㎞ちょっと前進しないとだな

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011 2011/06/10(金) 17:49:29 ID:UT4VBPkzvQ
日本かて支那やロシア進行は当たり前だったろに。戦車じゃいけないんだぞ。

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012 2011/06/10(金) 21:48:07 ID:ped9KytY5Q
マレー半島攻略は55日で1100キロだったらすい

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013 2011/06/11(土) 16:32:55 ID:yp1xCvy4bc
まぁ、このスレで一番頭がわるいのは>>7だな

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014 2011/06/12(日) 01:13:25 ID:cKBW15Chd.
北方と中央は南方の側面防御ってことに徹して
最初からカフカースの油田を取りに行ってたら
どうだったんだろ

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015 2011/06/14(火) 01:45:04 ID:ZzcoU/VyEI
>>14
油田は魅力的だが、
やはり補給線が延び過ぎ戦線維持が出来ないのでは。
油田のみ占拠できたとしても、ソ連軍が撤退時に施設を
破壊すれば、石油の現地調達も叶わない。

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016 2011/06/14(火) 02:56:57 ID:2f1YT5eoCE
北アフリカ戦線で連合軍に大勝利してイラクから突っ込む事が出来てればねぇ

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017 2011/06/15(水) 02:20:51 ID:jjwPlJdgXE
たしか英ソはイラン進駐をやってソを支援するルートを確保せんとしたんだっけか

日本が蘭印で油田をほぼ無傷で取れたのが不思議だよなあ
陸海軍の空挺がよほどよくやったのか
むこうが暢気だったのか

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018 2011/06/15(水) 15:24:14 ID:dcRZdLgvO6
>>17
イラン経由の鉄道輸送。対ソ支援の主体は米のレンドリースによる
物資だったが、輸送ルート確保が無ければ当然、物資も届かないので、
イラン占領は対独戦の帰趨の点でたいへん重要だと思う。
ただしソ連も強欲で、シャーマンは軌幅が狭いだの、マチルダは
使えないだの、あげくの果てにウラン酸化物まで要求してる。

日本軍の蘭印油田地帯の占領は、優秀な下士官のみで編成された特殊班の
存在が大きかったんじゃないかな。落下傘降下、戦闘から、施設のバルブ締めや
ボイラー消化を行ってる。事前準備が入念だったことも大きい。
ただ、連合軍も無能だったわけじゃなく、
パレンバンの2つの製油所のうちNKPMは計画爆破により大半が焼失。
BPMのほうはほぼ無傷で手に入ることが出来たが、占領直後の連合軍機の空襲で
100オクタンの航空燃料が全滅してる。

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019 2011/06/15(水) 16:35:15 ID:1gFiQRduoc
日本軍のやることってさ
その空挺作戦とか初期の作戦みたいに妙にうまいときと
ずさんなのとがごちゃまぜだよね

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020 2011/06/15(水) 16:44:30 ID:1gFiQRduoc
>>18
あそこってアメリカの製油所もあったのか知らなかったヨ
シェルだけかと思ってた
バクー油田はロスチャイルドとかノーベルが手をだしてるらしいが

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021 2011/06/16(木) 22:42:29 ID:zHglapj0Iw
>>19
戦闘組織としては当時の列強に比肩しうるものを持ってたのだろうが、
戦争組織としては結果の通りだ。
誰かのジョークに『最強の軍隊はアメリカ人の将軍、ドイツ人の将校、
日本人の下士官』というものがある。

>>20
20世紀は米英の石油利権争奪戦の世紀だからな。
バクーや蘭印にちょっかい掛けた国は潰されるわけさ。


>>17
『石油技術者たちの太平洋戦争』という文庫本を発掘した。
BPMの施設構内を掃討後に調査したら、爆破の準備だけは怠りなく
準備されていたが、現地人が命令に服さなかったそうだ。

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022 2011/06/16(木) 23:22:19 ID:Ln//MO6MvA
レニングラードとスターリングラードを攻略できなかったってのは
象徴的すぎてうまくできすぎた話だなあ
そのあとのゲッベルスの「総力戦演説」をアレで見てみたけど
すごい迫力だった

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023 2011/06/16(木) 23:24:45 ID:Ln//MO6MvA
>>21
おもしろそうだねその本

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024 2011/06/17(金) 00:28:07 ID:HQ7xyRUjSI
イギリス-アメリカが近いって20歳くらいに
知った。それまで一番遠い国だと思ってた。

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025 2011/06/17(金) 19:49:51 ID:n7t0ufj2LY
>>22
兵站組織が虚弱だから、戦線が広がりすぎれば継戦能力を
失う(悪路で兵の軍靴も不足)。一方のソ連は、粛清によって
参謀将校にも不足してたが、100個師団失えば100個師団召集すれば
いい、という戦い方だからな。

ヒトラーの当初の考えは、特定の地点の占拠や
政治的目標じゃなく、赤軍そのものに焦点を絞ってた。
だから反抗を受けて場当たり的な目標設定に陥ったのだろうが、
攻撃の重点を他のどれか一択に絞ったとしても、やはり兵站線の
維持は難しかったのではないかな。

>>23
民間企業から徴用された採油部隊(軍属)の苦労話なんだが、
けっこういい暮らしも出来てたらしい。当時の石油事情を知る参考になった。

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026 2011/06/18(土) 00:21:59 ID:1OfIFEzN2M
ベルリンワルシャワミンスクモスクワって鉄道で旅してみたいなあ

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027 2011/06/26(日) 15:57:53 ID:t79LQOb8KM
ブレストで軌道の幅がかわるらしい

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028 2012/04/04(水) 20:11:29 ID:R0ZnU37Hkg
へえwJRとちがうんやね

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