州兵は、平時は年に一度2週間の合宿と月に一度の訓練を務付けられているだけであり
実戦配備されるのは第二次世界大戦以来である。
「大学に行くための学資」が目的の学生。
「地域のために何か役立とう」という養鶏場経営の農家や黒人の牧師。
突然、召集令状が届いた。勤務は最長で730日。
国防総省は、イラク駐留兵士14万人の1/3に相当する4万人余を州兵に割り当てるとしていた。
アーカンソー州から派遣された州兵は、全米で最も多い4,000人である。
(アーカンソー州兵4,000人のうち死者は34名。負傷者は500名を超えた)
州兵部隊は、輸送用トラックや装甲車などが1950年代のもので、一番新しいものが1956年製。
防弾装甲になっていないので、廃材となった鉄板や防弾チョッキを取り付けて補強。
木製の型枠に砂などを詰めることもあった。
州兵の家族が民生品のGPSやトランシーバー、暗視ゴーグルまで仕送りしている。
顎と左腕に重傷を負った州兵は帰還によって、イラク出兵中は陸軍兵士として月7000ドルほど
あった手当てがなくなり、州兵の手当である月300ドルほどに戻っただけでなく、
医療費の多くも自己負担となった。
負傷兵に支払われる社会保障手当の申請は複雑で、期限が切れてしまった。
5回の手術を受けたものの複雑骨折し神経が切断された腕は快復する見込みは少ない。
ラムズフェルド国防長官がイラクで兵士から質問を受けた
「なぜこんな不十分な装備で戦わなければならないのか?」という質問に
「装備が十分になってから戦うのではない。今ある装備で戦わなければならないのだ」と返答した。
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