追加。
これまでも主張していることだが、これまでも書いた私の考えを纏めて記載しておこう。
戦争とは、人類の生み出した"国際紛争の最終的解決手段"だ。
故に戦争とは、合理的に、論理的に、効率的に、且つ徹底的に行う必要がある。
もし、上記が出来ないとするならば、戦争以外の国際紛争の解決手段があるということだ。
戦争においては国家はその目的(戦略)を果たすため、軍隊を用いる。
故に、軍隊が国家の統制下に置かれるよう"法"を用いる。
なぜなら、"法"を越える寄り有効な手段が存在せず、戦争に置いての軍隊を統制する為には"法"がもっとも有効だからだ。
結果、戦時に置いても"法"は機能するよう整備され、実際そのように機能している。
無論、人間とは完璧ではない。
国家の統制を外れ、国家に不利益を与えるような行為を軍人が行う事もある。
しかしそれは"法"によって裁かれる。
戦争が"残酷""残虐"という話は、戦争の結果に過ぎない。
戦争がいやなら、戦争に至る前に"勝利"できるだけの国家の相対的優位(外交的優位、経済力、軍事力等)を確立するしかない。
それが出来ないなら、戦争に備える事だ。
その備えの一つが"法"だ。如何に強大な軍隊でも"法"が無ければ無意味だ。
そして、現在のところ人類は"法"以外の「軍隊を統制し、その武力から自国を(そして敵国も)守る手段」を発明していない。
私は"戦争において法は存在しない"とは考えていない。
また、現実の世界もそうではない。
もし、"戦争における法の存在"を否定する者が居るとすれば、彼の願望であるのだろう。
戦時になれば、隣人の家族を襲い、婦女を犯し、それを正当化する方便としての"法の不在"を希求しているのだろう。
だが、戦時においても"法"は存在する。
そしてそのような輩は、法によって抑止され、法によって罰せられる。
以上だ。
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